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伏見は伏水だった?!

伏見といえば伏見稲荷大社のイメージが強いですが
酒どころとしても有名な伏見は水と関わりの深いまち。
以前「伏水」と書かれていたこともある、全国でも屈指の名水が湧き出る土地です。

伏見区内には宇治川や桂川が流れており、古くから伏見港を中心に水運の拠点として栄えてきました。かつて、伏見は良質な地下水が豊富に流れ、「伏水」と表されていました。この地下水を生かし酒造業が発達。全国的に有数の生産量補誇り、現在でも伏見の代表的な産業となっています。
酒蔵小路では伏見の酒蔵のきき酒セットもあるのでお楽しみください。
また、安土桃山時代、戦国時代を生き、天下統一を果たした豊臣秀吉はその晩年に伏見城を築きました。伏見は京都、奈良、大阪の中継地にあり、木津川、宇治川や桂川、鴨川の川があり、水陸共に交通の要所でした。1594年に伏見城を建てるにあたり、建築材を運ぶため伏見港を開き、1595年には天下の中心とも言えるほどの一大拠点となったのです。
豊臣秀吉が最初に築城したのは1592年から始まったとされています。初めは宴などを催すための隠居城として屋敷を作りましたが、その後に延べ25万人を動員して、5か月ほどで城を完成させました。ですが、1596年に起こった大地震により城は倒壊してしまい、その10日後に木幡山に城を再度築き始めますが、1598年になってもまだ工事は続けられ、豊臣秀吉は城の完成を見ることなくこの世を去りました。そして完成した伏見城は江戸時代、徳川幕府により壊されてしまいました。
伏見は1594年に城下町の開発や町割等が急速に進められ、武家屋敷や町屋、道路などの区画整理が行われ、現在の町の原型が作られました。基本的には京町通と両替町通が居住区の中心になっており、全国各地から有力大名が集められ、商工業者も住むようになったとされています。
この頃から栄えてきた伏見区の歴史は長く深いものがあり、桃山町金森出雲や桃山町島津など、現在でも住所に大名屋敷の痕跡を確認することができるので、あの坂本龍馬で有名な寺田屋に寄って
地名巡りもお楽しみください。